インドネシアで株式会社設立

IT

インドネシアに移住し13年。とうとう自分の会社を設立することになりました。
と言っても、インドネシア人の奥さんの名義なので、書面上は私の会社ではありませんが。

外国人の名義だと資本金1億円(10 Miliar Rp)の壁があり、多くの日系企業がこれで断念するそうです。
その為、一部の日本の会社は、インドネシア人のパートナー名義で完全ローカル資本の会社を設立し、(試験的に)サービス提供している会社もあります。

今まではフリーランスとして働いていました

2020年のコロナ禍で、現地採用で働いていた会社を辞め、フリーランスとして働いています。
それまでは約4,5年毎に転職をしました。

1つ目の会社は、ソフトウェア会社でプログラマーをやっていました。
主に金融系のプロジェクトで、東京の大手銀行や大手外資系の保険会社等で働いていました。
その為、データベースを構築して、データを自動集計する等の「データの見える化」を作るのが得意になりました。

2つ目の会社は、インドネシアの日系IT企業で営業を担当していました。
日本では誰もが知るIT企業の為、アポ取りがすごく簡単で、営業初心者の自分でもハードル低く始めることができました。
また、2011年から2013年頃は、日系企業の進出ラッシュ時期であった為、東南アジアの現地採用者ランキングで売上2位を記録する程たくさん売上げました。
この会社では、1つ目のソフトウェア会社では、身近なようで遠い存在だった、ネットワーク、サーバー等のハードウェアの知識を得ることができました。

3つ目の会社は、コイルセンターというマイナーな製造業で、営業および社内ITマネージャーを担当しました。
コイルセンターとは、製鉄所からトイレットペーパーのような鉄の板を購入し、加工する会社です。
車や電化製品の材料の上流工程に位置しており、大手商社が牛耳っている分野でした。

そこでは、初めてITのユーザー側に立つことができ、ユーザー目線でIT業務を見ることが出来ました

正直、私が来る前の従業員のパソコン作業は、ぐちゃぐちゃでした。
パソコンを紙とペンの代わりにしか使っておらず、無駄だらけ。間違いだらけ。

基幹システムも入っていましたが、マスターデータの概念が無く、ごみデータだらけで自動集計が出来ない状態でした。

幸い2年に1回、日本からのIT監査があったため、そこでIT運用について学びました。
ITセキュリティ、リスク対策、作業の効率化などを3年間かけて整理、最適化してきました。
また、ITソフトウェアのチームも構築し、エクセルやアクセス等の「今ある環境」でプログラムを組んで自動化する体制を整えました。

独立のきっかけ

3つ目の会社の退職理由は、(恥ずかしながら)契約終了でした。
コロナ禍に、売り上げが10分の1になり、契約社員や現地採用者はほとんど首を切られ、私もそのうちの一人でした。

私は以前から、独立志向が高く、実は副業でいろいろな事業を試しており、いつでも辞めれるように自分の仕事の引継ぎ準備はほぼ終わっている状況でした。
しかし、コロナ禍で外出もままならない状況での転職活動は、困難が予想されとても不安でした。
不安すぎて、毎日お腹の下の方が痛いような気持ち悪いような変な感覚が数か月続きました。

会社からは、3か月くらい前に契約終了の連絡を貰っていたので、働きながら転職活動の情報を得ていました。
しかし、最終的には、これ(無職)を良い機会だと捉え、自分で独立することにしました。

幸い、ビザは以前から妻スポンサーの配偶者ビザであったため、会社に属さなくても生活費程度のお金を稼ぐことはできます。
その上で、今までやってきた業務の効率化(エクセル、アクセス、アウトルックのマクロ開発)の分野で、なんとなく勝算を見込んでいました。

数名の友達に「フリーランスとして独立すること」を伝えると、1人の会社経営をしている友達が一緒にビジネスをしましょうと誘ってくれました。

ファーストキャッシュ

その友達は、インドネシア人のビジネスマンで、様々な事業を行っていました。
彼は、以前からITビジネスに興味がありましたが、IT経験のない中で彼一人では始めることができずにいました。
そこへ私が連絡したことで、彼とのITビジネスが始まりました。

私にとっての独立後のファーストキャッシュは、すぐに得ることができました。
彼のネットワークで、日本の印刷会社が顧客管理システムを欲しがっていました。
そこへ、私が入り要件をヒアリングし、提案書を作り提案したところ、数週間後に注文を得ることが出来ました。
50%の頭金の支払いがあり(15万円くらいだったと記憶しています)それが、私にとってのファーストキャッシュとなりました。

その後は、更に彼のツテでインドネシアの日系企業の社長さんと面談し、私の経歴をお伝えしたところ「ウチでもIT業務の整理をしてください」とのご依頼をいただき、1年間のITコンサル契約を得ることができました。

始める前は不安がありましたが、何とか息子2人の(高い授業料の)学費も払うことができ、生き延びることが出来ています。

フリーランスは不安定

このように3年間のフリーランス生活は「何とかなった」状況ですが、2023年の前半は案件が減り経済的に苦しい状況も経験しました。

2023年後半で何とか挽回しましたが、やはり自分一人の労働対価で収入を得るフリーランスという形態では、危ないと悟りました。
また、客先の支払い遅延も経験し、今の状況の危うさが身に沁みました。

新会社でやりたい事

友達とのITビジネスは継続しつつ(というかもっと拡大させたい!)自分のビジネスも育てたいと思っています。
自分のビジネスの方は、もっとお客様にソフトウェアエンジニアが身近になるサービスを提供したいと思っています。

まずは、自分の住んでいるジャカルタ郊外のビンタロという地区で、近くのローカル会社にアプローチします。
専属契約で月額3万5千円程度(3.6JTルピア)でエクセルや紙の作業をアプリ化するサービスを始めます。

月額費用には開発費用も含まれており、従業員を雇うよりも安くアプリ化を実現していきます。
(インドネシアの最低賃金は、4万5千円程度)

業務をアプリ化すると、パソコンやスマホ、タブレットで作業を実施することが出来るようになります。
シンプルな入力操作で、データ集計は全自動。また、データ監視も自動で行います。

このサービスは、インドネシアの人件費よりも安く、エクセルや紙の作業と比較して多くの作業工数を削減できます。

その為、このサービスの価値が分かる人は必ず現れると信じています。

と言っても100件プレゼンして、契約は1件くらいかなとは思っています。知名度ゼロなので。

日系企業もローカル企業も、どの会社にも足りないのは、ITリテラシーです。
IT技術は、日々進歩し安くなり、身近にたくさん存在します。
しかし、それを使いこなせる人が周りにいません。

その為、まずは私が顧客のITリテラシーの核となり、業務効率をどんどん進めたいと思います。
日系企業に負けないITリテラシーの高いローカル会社を自分の近所からどんどん作っていきたいと思います。

そんな野望を持ちつつ、今は新会社のホームページを作ったり、営業採用1名の準備を進めたりしています。

どうなるか分かりませんが、何とかなることは確かです。

  • 大学2年の終わりに初めの関門(168単位より下は留年)で168単位を取り、ギリギリどうにかなりました。
  • 大学3年の時に1年間休学して世界一周(22か国)したときも、どうにかなりました。
  • 未経験でシステムエンジニアの仕事を始めた時も、どうにかなりました。
  • 東京で出会ったインドネシア人と結婚した時も、どうにかなりました。
  • インドネシア語は話せないのに妻の故郷であるインドネシアに移住して仕事を探した時も、どうにかなりました。
  • 3番目の子が未熟児+ダウン症で産まれてきて、約2か月生死をさまよった後に200万円の請求書が来た時も、どうにかなりました。
  • コロナで仕事を首になって、フリーランスで独立した時も、どうにかなりました。

こうやって「どうにかなったこと」をリスト化すると笑えてきます。

面白い人生を遅れていることに感謝です。